2016年
先人達との繋がり頑張りが見れないと話していた子ども達。
自分達を育むこの街の歴史や文化を求める声に答えるべく
調べ始めた北谷の歴史
戦後、住み慣れた街に直ぐに戻れず分断された歴史や伝承の継承。
砂辺の公民館にはその地図も現存します。
この家は最後まで戻れなかった…
昨日の砂辺のンマハラシーの時に私がとても感じたのは、
伝承紙芝居を読んだ時の子ども達の反応。
北谷の子達は「北谷長老とありんこ」に興味を惹かれた
ようで、修了後話しかけてくる子もいました。
7歳の時にラジオで伝承を聞いてから、人として私も
尊敬してきた北谷長老。
北谷の子達が興味を持ったのは「執心鐘入」では無いのです。
でも、北中城で読み聞かせをした時、北中城の子ども達が
興味を示したのは「執心鐘入」でした。
イケメンもてもての中城若松の子孫かも
生まれ育つ街の歴史や文化
子ども達は興味の無い振りをしながら凄く求めている。
本当に自治会や子ども会、学力推進協議会単位でも、
地域の文化や伝承の継承に取り組んで貰えたら、
子ども達の生きた歴史への知識欲も満たせるのかな?
と思いました。
昨日は北谷町長も参加して頂けたので、少しずつ、
次代の子ども達への継承も進んでいくものと期待しています。
ンマハラシーで存分に馬に触れて伝承紙芝居で地元の先人に
出会えて、良い思い出となってくれたでしょう
父親がアメリカ国籍の子と話をした時の事です。
とても恥ずかしい思いをしたんだ・゜・(ノД`)・゜・。
と話してました。
日本の歴史もあやふやで、沖縄の歴史も知らない。
生まれ育った地域の事さえ良くわからない那覇生まれの子
訪米時、日本について、沖縄についてきちんと話せなくて
本当に恥ずかしかったと話してくれました。
アメリカの親戚達に誇らしげに言われたそうです。
自分達はアメリカの成り立ちから全部言えるよと。
根っこの無い不安定さを強く感じて恥ずかしかった。
ちゃんと教えて欲しいし、知りたいと。
子ども達の声を拾えるのは今の大人達
どんどん伝承がレッドデータになってきています。
他府県や外国からのお客様が沖縄での長期滞在は
難しいと話す方もいます。
「ストーリーが無いんだ。」
「箱物が見たいのではなく、ここに
息づく物語を感じたいんだと。」
〖琉球ロマン〗
その魅力が素晴らしい事を知っている私には勿体ない
と思えて仕方ないです。
おじいちゃん、おばあちゃん、孫やひ孫に語って下さい。
自分時間も大切ですが、あなたの昔話を聞きたい子達は
沢山います
昔の私もそうでした。
キラキラしてるんです。
生き生きと動く歴史の機知は、頭の中でイメージ化されて
息づいていくんです。
そして、繋がっていると感じるんです。
それらを身近に感じると寂しくなくなります。
子ども達が欲しいのは、必要なのは、その繋がりと
育っていく環境の温かさ。
出来る事を重ねます
次は北谷長老4部作の残り2部
その次はうるま市→南城市→読谷村
浦添市
と続く「いねとつる」稲の再興の続き。
「あまわりの手ぃー火の乱」
私のWAKWAKもこれからです。
ベビーとママパパ達を支えつつ、先人達の頑張りや
優しさを伝えられるには?も考えていきます